個別ケアと利用者主体について思うこと

介護職の日記

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私は高齢者の介護施設で現在,働いています。

もともとは、まったく違う仕事をしていました。

そして転職をして現在の介護の仕事で約2年が過ぎました。

そんな中で、私の勤める施設では、頻繁に上がるミーティングのテーマは「個別ケア」についてです。

そんな個別ケアについて、実際にはどのようなことが私たちには出来ているのか、

そんなことを、振り返ってみました。

新しく来られた入居者のエピソードから個別ケアを考えてみて

実際にあった最近の出来事ですが、新規に私が勤める介護施設にご入居された方がいました。

心臓が悪いとのことで、水分の摂取量や塩分の制限を受けています。

そして、つい最近もお食事で、「梅干し」が大好物なようで、

ご家族からの差し入れも梅干しがたくさん届いていました。

ですが、看護師からは、食べても良いという許可が出ていなくて、

しばらくはご利用者様のお預かりした食品を入れる専用の冷蔵庫へお預かりすることになりました。

ある昼食のとき、ほんの少しだけ梅干しをなめさせていただくだけで、

ごはんが進むのにとおっしゃるのです。

しかし、その時はやはり、お体のためにお出しできないことをお伝えし、我慢をしていただきました。

そのご利用者様は、

「ここは、病院ではないですよね。

だから私は、ここ(介護施設)で暮らすことを決めた。

自宅では、気をつかうこともあるし、

自分自身でも、できないこともあるから。

しかし、ここでは、私の望みが聞いてもらえない。

あなた方の言い分もわかる。

しかし、私は延命を望んでいるわけではない。

すこし、梅干しをなめたぐらいで、そんなに何か、悪くなるとは思えません。」

そのようなお話をされました。

私は、すぐに、その御利用者様に対して、その求められているお返事が返せませんでした。

たしかに、本人が望むことが全く聞き入れてもらえない場所であると言われてしまうと、とてもつらい立場です。

いくら、そのご利用様のためだとしても、

もう、そんな場所なら帰りたいと思うに違いありません。

ですが、お体に悪いものを易々と承諾することも違うような気持ちにもなります。

その後、看護師から、何とか、1日に食べてもよい梅干しの量を決められて、

ほんの僅かですが、食べてもよいということになりました。

介護サービスの目的

どんな重い障害をもち、仮に介護サービスを必要とするようになったとしても、

その人がその人自身の人生の主人公であることは変わりありません。

施設における介護現場であっても、在宅における介護現場であっても、

介護サービスの目的とは、そうした利用者の日常的な「生活」を支援していくことにあります。

介護のテキストによると

個々の「生活ニーズ」にどこまで応えるか・・・

そんなお話が出ています。

介護サービスの提供に際して、利用者の「主観的な世界」を尊重し、「その人らしさ」を大切にするには、

この「生活ニーズ」の捉え方は本当に難しいものとあります。

なぜならば、「生活」には正解がないからといいます。

現在の日本社会に生きる人間としては、毎日、お風呂に入ることを望むのも普通です。

しかし、銭湯やもらい湯などが当たり前であった50~60年前までの日本では、毎日お風呂に入る習慣をもつ人はそれほど、多くはありませんでした。

つまり、現在の私たちの生活ニーズと昔の生活習慣の異なっていた高齢者の生活ニーズには、ズレが生じることもあります。

また、毎食お米の食事を望むことも、毎朝トーストにバターをのせて、ゆで卵を添え、コーヒーと一緒に食べるという食習慣についても、どちらも間違いではなく、また特に贅沢という訳ではありません。

自分のことが自分でできているのであれば、ごく普通のこととして、多くの人が自分なりの生活習慣として行っていることです。

しかし、ひとたび障害を有したり、福祉施設に入所したりしたらどうでしょうか。

「インスタントコーヒーを毎朝、入れてもらいたいのだけれど・・・」という利用者に、「申し訳ないのですが、そこまでのことはできないのです・・・」

と答える職員を責めることはできるのでしょうか。

「自分は健康管理のために、この40年、朝は自分で野菜ジュースをつくってきた。お願いしたいのだが・・・」

という利用者に「市販のものではだめですか?」

と答える職員を責めることはできるのでしょうか。

どこまでを「生活ニーズ」と呼べばいいのでしょうか。

答えはありませんが、利用者自身がそれまで普通にやってきたことが、

自分一人でできなくなることの「つらさ」「悲しさ」という視点から考えて、

そのうえで個別的な対応をすることが大切になります。

「生活ニーズ」というものは個別的なものであり、

そのなかには当たり前に支援する必要があるものもあれば、

社会的サービスの範囲としては逸脱しているのではないかと思えるようなものも含まれます。

そして、それは決して規則的・一律的に判断できるものでもなく、

サービスの現場のなかで個別的に判断されるべき性質のもです。

それゆえに、介護サービスにおいては、専門的な知識・技術、そして専門職としての必要な経験が重視されるのです。

個別ケアの大切さ

私たち介護職の目指すべき、質の高い介護サービスとは、一体どのようなものか。

それは、利用者が要介護状態に至ることによって他者からの支援を必要とするようになっても、自分自身の人生を、自分自身として生き生きと過ごせるよう、過不足のない「生活基盤」を整えていくことです。

それは、「活かされる」状態の介護ではなく、要介護状態にある利用者その人がその人らしく「生きていく」ための支援といえます。

まとめ

できるだけ、ご利用者様へのご希望に添える介護を私自身も望んでいます。

ご自宅の環境で、どうしても介護施設にご入居しなければならないこともあるかも知れません。

そして、私の勤める介護施設は、たしかに、今回のエピソードのご利用者様の仰るように、病気を治す病院ではありません。

すこしぐらい、体に悪いと言われるものでも、まったく食べることができずに、生涯を過ごすことも、大変、辛いことだとも想像ができます。

本当に悩ましい事が日々、起こりますが、いかに介護職員もご利用者様とのご希望にお応えできることができるか、介護スタッフや他職種の連携によって、知恵を出し合いたいものです。

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